初めてのワイン蔵見学2 取材報告  (by えつこ)

新潟県上越市   株式会社 岩の原葡萄園

第 9 話

 会場中央にようやくワインづくりに使われた道具がありました。
 盛りだらい、圧搾機、手押しポンプ、カスリなどが置いてありました。
    
さて次の壁面に目をやると、ようやく川上善兵衛さんの時代のパネル写真が展示してありました。
 説明をご紹介しましょう。
    
    岩の原葡萄園の開設
 写真には壊す前の川上家の庭園の写真や丘の上からの風景、そして、当時のぶどう酒醸造工場の様子が写っています。
 川上善兵衛が、日本一といわれる豪雪地・高田で「岩の原葡萄園」を開いたのは、明治23年(1890年)のことでした。
 明治元年(1868年)上越高田の名家、川上家の嫡男として生まれた善兵衛は、文明開化、殖産興業という時代のうねりの中で、西欧に比肩できるワインづくりという壮大な夢を描き、自宅の庭園を壊して葡萄園を開設。
 数多くの苦難を乗り越えて、日本の風土、気候にあったぶどう栽培、ワインづくりをおこなったその歩みは、まさに日本のワイン発達史そのものだったといえるでしょう。
    
     豪雪を乗り越えて
   ぶどう栽培と醸造技術の
      向上への努力

 写真には冬の雪に覆われた畑、蔵の完成式、雪を利用した蔵の内部の様子、仕込み樽、消毒作業(大正時代)の様子が写されています。
 善兵衛は、当時の国家的な潮流であった殖産興業、国利民福、海外発展という政策を郷里でいかしていこうと決意します。鹿鳴館に代表される文明開化の波のなかで、明治政府の殖産興業政策においても、ぶどう栽培とワイン産業の発展は、重要な施策として奨励されていました。 ぶどうは山林や荒れ地を開拓して栽培でき、水田をつぶす必要がなく、米からつくる日本酒の一部がワインに代われば米の節約となり、また、栽培、醸造が比較的容易であると考え、善兵衛はこの地でのぶどう栽培とワインづくりを志します。豪雪地帯であり、水田単作地帯であるこの地の農家の人々に新しい副業をつくり、生活を向上させたいという郷土への情熱のもと、明治23年(1890年)善兵衛は自宅の庭園を壊し、9種類の西欧ぶどう品種苗127株を植え付け、「岩の原葡萄園」を開いたのです。
    
    郷土の偉人「日本の
  ワインづくりの父」川上善兵衛
 写真には善兵衛の子供の頃の写真と愛馬にまたがったりりしい善兵衛、そして勝海舟からの手紙と年表が写っています。
 明治26年(1893年)、初めて醸造したワインは酸味が強く、品質的には満足のいかないものでした。この失敗から、翌年善兵衛は、本格的な醸造用石蔵建設に着手。明治28年(1895年)には第1号石蔵、明治31年(1898年)には第2号蔵が完成します。とくに第2号石蔵は、上越地方に特有の雪を使って低温発酵を行う工夫がなされ、葡萄園の設備は整えられていきます。(第2号石蔵は平成2年(1990年)上越市文化財に指定されています。)

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